2010年4月21日水曜日

ある地方都市の繁華街ー本町・辻町、スーパー

人口三万人程度の町というのは、世界的に見れば都市の内に入るのだろうか。私は比較文化論とか詳しくは無いから、これがどういう程度のレベルにあるかはわからない。ただ、この町は、つい5年前までは確かにひとつの町であった。


中心街-北条本町-は江戸時代以来の宿場町である。左側に見える「冨屋」というのは、脚本家早坂暁さんの生まれた家で、町の看板「花へんろの町」というのは、早坂さんがそのころの北条の思い出をドラマにしたもの(桃井かおりがお母さん役だったような)。目の前を流れる川は明星川で、秋になると、秋祭りの舞台になります。北条の火事祭りはとにかくみこしを壊したり投げたりする荒い祭りですが、私の住む正岡地区ではおみこしを神社に落っことすのに対して、ここ北条の人たちはこの川に落っことします。


本町を見ていると、この町が松山のコピー、そして、東京の孫コピーであることがわかります。玉枝に銀行、一六本舗、おもちゃ屋さん。これらの店舗はすべて松山の会社であり、北条の、もっと言えばこの町にしかないお店と言うのは冨屋くらいでしょうか。


ここを出て、辻町商店街に入ると、勉強堂という和菓子屋さんがあります。ここは北条しかないかな?






北条にしかない個人経営の店、が無いわけではありません。たとえば八百屋さん・散髪屋さん、本屋さん・・・。私の記憶では、そうした店がたくさんあったのが辻町商店街でした。私はこの写真にも写っているあるお家でピアノを教えてもらっていました。レッスン料は家で作った野菜+500円。


しかし、改めてみた辻町は、ずいぶん変わっていました。まず、ピアノの本を買っていた本屋さんは駅の近くに移転。八百屋さんは無くなり、散髪屋さんだけが残っていました。火曜日は休みらしく、みんな休業中です。手前にあるのは、私が子供のころから「なぞの店」だったマッカーサーインベーダーセンターの看板。ついマッカーサーってつけちゃう辺り、日本人の記憶もすさまじいものがあります。

最後に、辻町の入り口にあるスーパー。ここは昔「フジ」というスーパーでした。三階には食堂とアイスを売っている売店があり、休日亡父に来るまでつれてきてもらったものです。やがて、三階はゲームセンターになり、今や「立ち入り禁止」となりました。二階の本屋さんも一回に移された後、消滅。今はデパートそのものが「安売りセンター」と位置づけられています。お店の張り紙によると、流通と人件費の徹底削減で安売りを実現しているそうです。僕の小学校の同級生のお母さんもここの肉屋で働いていたのですが、今は見かけなくなりました。どうしているのかなあ。。

この変化は、景気の低迷、人口減少、そしてライバルスーパーの参入など色々あります。

しかし、そんな悲しい歴史をたどるこのスーパーですが、魚の仕入れは昔と同じ。すぐそばの北条港直送の新鮮な魚がそのまんま売られます。




むかしはお願いしたらその場でおろしてくれていたのですが、今はどうなんだろ。ちなみにこのカレイ、まだ動いています(写真だとわからないか・・とにかくピチピチ跳ねてました)



私の住む正岡地区は、この北条に1955年ころ合併されました(昭和の大合併)。神社の統合などコミュニティそのものを大きく変えた明治の大合併や、行政効率化を目的として、地域の生活実態以上に広域な合併が強行される例もあった平成に大合併に比べ、中学校区レベルの合併だった昭和の合併はあまり地域的影響を感じさせません。愛媛県は私が小学校のころは70誓い自治体が残され、昭和の合併に失敗した県、という汚名がかけられていました。まあ逆に言えば、その汚名を旗印に20程度まで市町村を統廃合したのが現知事のもっとも大きな業績となっています。

私たち旧正岡村住民はもともと北条に買い物に行っていたし、中学校に入れば、「町の子=北条住民」と一緒の中学校になったものです。ただそれは、逆に北条市が合併して消滅したことに、ほとんど哀愁を感じさせませんでした。私自身、北条の町は買い物に行く町であり、松山市内とさほど変わらない位置づけでした。そして、松山市内は、比較にならないほど、北条より都会なのです。




旧北条市役所(松山市役所北条支所)には、「北条市の歩み」という碑があります。誇らしげに書かれる歩みは、道路、公共施設の整備の歴史でもあります。皮肉なことに、この道路が松山市内への利便性を確保し、北条の町の存在意義を低くしたのかもしれません。



大学の桜は開き始めました。この聖カタリナ大学とカタリナ修道女会を始め、北条の町には、まだまだ町を必要とする多くの人たちがいます。そして、町を愛し、われわれよりちょっとしゃれっ気の多い「町の子」たちがいます。



町の中に、小さなお堂や神社があります。今日も、黙々とその周りを草抜きしている奥さんがいました。桜がきれいです。名所めぐりもいいけれど、自分の町にこんなスポットがあったら、ついその前を通りたくなるものです。この町に住む人の、町を行きかう人への愛情が感じられます。これこそ、宿場町の誇りなんじゃないかと思ったり。



北条市内は、他地域の人の買い物センターとしての役割を終え、住民の憩いと、われわれ山側の住民の一休みの場に変貌しようとしています。この町の緩やかなリタイアが、幸のある第二の人生への転換でありますように。

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