2009年11月30日月曜日

坂の上の雲見ました

さて、今日はちょっと出かけているんで気分転換に『坂の上の雲』の感想を。

まず、圧倒的に面白い。

直前までやっていた大河ドラマのことは言うまい。ドラマである。しかし、あまりにも嘘がひどかったね。
それから、各個人の描かれ方が単純すぎた。織田信長の狂気と、徳川家康の狡猾さみたいな描写は、「としまつ」辺りからまったく変わっていない様式美扱い。なるほど日本人は水戸黄門が好きだったころからまったく変わっていない。そういう人たちにとって、歴史とは、「自分の教えられた、型どおりの人物を見て、過去と現代の自分を比較するためのもの」に過ぎないのだろう。

今回のドラマを「映画のよう」と言っている人がいる。それは、上記のような「単純化された人物像」を排除し、人間の複雑さを描こうとしていること、そして、名優たちがそうした表現を可能にしていることが大きい。また、渡辺謙さんのナレーションによって「新聞調」といわれてしまう司馬氏の冗長な解説を、脚注以上の効果で見せることができている。こうした点で、いわゆる「歴ヲタ」にとってこのドラマは面白いものになっているんじゃないだろうか。

それから、最後のシーンで出てきた「日本紳士は礼儀正しく、法に従うべき」と言ったシーン。貧しくても笑顔があり、立身出世の夢がある明治日本に、素直にあこがれてしまう。これは司馬氏自身がこの小説で描こうとした事でも合ったろうし、このドラマ全体を導く登りの坂道でもある。エンディングの山はどこなのだろう?石鎚山?ドラマ制作者も含めて、このドラマにこめられた渾身の思いは、十分に伝わったと思う。

ただ、「司馬史観」などと呼ばれるものをこうしたドラマで吹聴すべきではない。まず、明治と昭和の断絶を説く司馬氏の発想は、個人の体験に束縛された情緒的評価である。むしろ、明治時代の国家がやってきた富国強兵と領土拡大による経済成長が、行き詰まりを見せていたのに、転換に失敗したのが昭和の初期だという意見に私は賛成したい。昭和時代の日本のリーダーが、部分最適な選択を重ねた末に対米戦争に追い込まれる段は加藤陽子氏の著作に詳しいが、私には史観としてはこちらのほうが説得力を感じる。

司馬氏自身がこの小説に多くのデフォルメを加えていることは講談社現代新書の「日本海海戦の真実」を読んだ高校のころから知っていたが、購読している文芸春秋などで数ヶ月にわたって繰り広げられた団塊世代のノスタルジックな「坂の上の雲待望論」を見せ付けられるたびに、私はそんな思いを新たにしてきました。

しかし、そうした問題を経てもなお、私はこの『坂の上の雲』が圧倒的に面白い。

何故かって?

それは私が「伊予人」だからです!

愛媛が注目されることなんてしばらく無いでしょうし(もう秋山兄弟も子規も東京に移ってしまいましたが)、郷土の英雄が、東京人に馬鹿にされながら豪胆にも立身出世を目指すその愚直な姿が、東京砂漠に隠れ住む愛媛人には一滴の清涼水です。

とまあ色々書いてきたのですが、このドラマが近年の腐った大河ドラマや歴史系ドラマとは異なったものであること、司馬氏が描こうとした明治日本のポジティブなストーリーを「歴史としてではなく、物語として」楽しめそうだという確信が持てたこと、そして、愛媛万歳!の観点から、このドラマを楽しみたいと思います。

・・・あれ?内容についてぜんぜん書いてない?ま、それは疲れたので原作で。。。

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