2009年1月20日火曜日

水利施設の研究

私の研究対象は農業用水です。これからしばらくの間は、農業用水関係の研究をしたいと思っています。
そこで、「農業用水って大体どんなもんだい?」という所を写真を使って紹介します。僕の調査対象地でとってきた写真です。

まず最初の写真は、ため池についている水門です。(名前をいきなり忘れてしまった・・・)



銀色のハンドルみたいのが着いていますよね。これを回すと、池の底に水を取り込むための穴があいていて、それが一つ一つ空いていきます。ハンドルを回していくことで、流れる水量を調整できるというわけです。

こうしたため池は、旧来は干魃対策として非常に重要でした。西日本ではこの下の水抜きの栓ごとに利用する水路が異なっていて、水をかける順番が決まっていくという厳しいルールのある場所もあったと聞きます。まさに、水利慣行が生まれる場所というわけです。

次の写真は、江戸時代に作られた旧水門跡


コンクリートで塞がれた後ろは絶壁になっています。つまり、水ははるか下を流れていて、この水門はもう使えません。

なんでそうなっているかというと、「川の砂利を採ってコンクリートにしたから」なのです。近代が残した爪痕と言いましょうか。東京の川がものすごく土手が高い(神田川とか)のは、同じ理由なのでしょうか?多少近代史に詳しい方がこうした状況を理解するには便利だろうなと思う。



三枚目の写真は、現在の頭首工(水を用水路に分けるところ)。水門は遠隔操作で市内の管理事務所からも操作できるとか。水量計などもついていて、流水量も調節できます。これがいわゆる「近代的な農業水利施設」というやつです。




4枚目、これは農業用水を分けている小用水路です。門の前にスクリーンと呼ばれる鉄格子がついています。これで草などのゴミを取っているわけです。写真の場所も結構たまってます。



5枚目、ある水路の写真です。立体的に交差しているのは、片方が排水路、片方が用水路です。「用排分離」と呼ばれるこうした水路は、汚水を分別することができる反面、排水路の方の掃除がおそろかになったり(みんな自分のところを出ていく水にはあまり興味がないらしい)といったモラルハザードを生んでいる場所もあります。これなんかは経済学っぽいネタのような気も。


6枚目これは河川についている水門です。これも一つの頭首工なのですが、三枚目の大規模頭首工とは全然雰囲気が違いますね。こうした小頭首工は、多くは稲作が始まった古来より使われています。こうした古来からの施設を慣行水利施設と呼び、そこから得た水を「慣行水利権」と呼びます。ただし、この水利施設は届け出を出して許可水利権に途中で切り変わっています。横の白看板が、その水利権の期間や水量を示したものです。許可水利権と慣行水利権の違いは、また改めて、



7枚目は分水ポットです。現代の水路はこうしたコンクリートが埋め込まれています。


8枚目は分水ゲート。奥側のゲートを閉めて水位を上げて、手前のゲートを開けると、水は3時の方向に90°角度を変えて流れるわけです。水路がコンクリートで覆われているのは転落防止とゴミが入るのを防ぐためです。しかし、ところどころに隙間があいてますよね。これは経費節約のために全面を覆う事が出来なかったからだそうです。予算規模だけでは測れない、現場での節約というのは写真の説得力が発揮できる所です。


9枚目は市街地の水路です。ゲートが青色になっていますよね?これは、管理団体が土地改良区から市役所に変わったことを示しているそうです。僕の調査地は降雪地帯なので、こうした市内の水路は雪かきの雪を流す消流雪用水としての役割があります。たしかに、市内中除雪車で回っていくよりも、水路を通して流しちゃう方が安上がりですよね。



最後は、基幹水路の出口の写真です。ここから、元の川に流れ込みます。こうしたコンクリート三面張り水路も、近代的施設の特徴です。こうすることでメンテナンスやなんやでメリットも大きかったのでしょう。そもそも、水路なんてなかった場所に水を引っ張ったという事例も多いわけですから、こうなるのはやむを得ない事ではありますね。ただ、こうした水路を「環境にやさしく」と考えなくてはならないのが辛いところ。


さて、こうした水利施設をどのように分析の対象にしていくのか?、というのが私の研究課題なわけですが・・・どうしたもんでしょ?

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 私が所属するNPO法人中山間地域フォーラムのシンポジウムが7月10日(土)にオンラインで開催されます。 タイトルは「 新たな農村政策を問う ~農村発イノベーションは広がるか 」です。  基本計画が新しくなり、新しい農村政策に関する有識者の提言もなされました。現場の新しい活動と、...