せっかくブログを作ったのに、何も書かないままでいるのはどうかなと思うので、今年読んだ本(必ずしも新刊ではない)もしくは読み直した本から、5冊を紹介して今年の終わりにしようと思います。
日本農業の真実
生源寺先生が名古屋大学に異動されたのは、個人的には最大の事件でありました。震災や海外動静や聖上の御不例など、今年は多くの事件があり、これが最大とは大声で言いづらいのですが、生源寺先生にお会いしてから、研究者としてのお姿を拝見してきたものとしては、やはり先生がもう間近でお会いできないというのはとても悲しいことです。僕がもう少し研究者としてしっかりしていたら、もっといろんなお話をすることができたのかもしれません。その意味では返す返すも残念としか言えません。とはいえ、先生の御決意のほどは詳しくお聞きして、皆学生は納得したところですし、もう会えないといった類の状況ではないのですから、いつか先生にコメントを頂けるような研究成果を出してみたいものです。
さて、本の紹介です。先生は農政審議会の仕事を引いて、学部長をされている2007年から2011年までの時期に立て続けに書籍を書かれました(ちなみに、その時期は私の大学院生活とかぶっている)
。関わってきた農業政策についての覚書と、一般への周知という二つの目的があったものと思われます。
この本は、そうした農業政策に関する一般向け書籍の最新刊で、かつ民主党になってからの農業政策の迷走についての警鐘となっています。
ただ、この本のポイントは、露骨な民主党批判や、TPP賛成反対といった政治的問題に乗っかった議論をしていない所にあります。
本の前半は、農業政策が、特に93年のGATT妥結以後、どのように戦略を描いてきたのか、その政策の根拠は何かを丁寧に説明しています。後半は、農業政策の焦眉の急、「後継者問題」と「減反政策」、ややテクニカルな側面として「農地問題」「農業資源の共同管理問題」に触れています。
後継者問題について、(貿易交渉を睨むつもりなら、なおさら)一定規模の規模拡大を何より優先して実施することと、減反強制からの解放の必要性が本書の大きな論旨ということになります。
最近のTPP賛成反対ディベートで農業に興味を持った人は、必ずしも面白いネタとは思わないかもしれません。
しかし、この本は、そういう人にこそ読んでもらいたい本だと思います。日本の農業がどんな問題を抱えているのか。そして、それってTPPとかと関係なく、日本人自身がやらないといけない事じゃないか?という事にぜひ気づいてほしい。
この本は、そうした「気づき」が可能なほど論理的でわかりやすい本だと思います。
ただし、人によっては、この意見を「農水省の政策を肯定する理論」と読む人もいるでしょう。先生自身の研究と活動がこの本の論拠であることを考えれば、そうした見方の全てを否定することはできません。問題は農水省がやってきた政策は全部間違っていたのか、否か、という点です。その意味で解釈するなら、マスコミ的な議論とは異なる視点としても、面白い本じゃないかと思います。
「データは、人が目をそらしてしまう不都合な事実に光を当てる」。この本に「日本農業の真実」が隠されているとすれば、それは演説する扇動家(デマゴーグ)が決して触れたがらないことが本に載っているからかもしれませんね。
ミクロ計量経済学入門
研究ツールの紹介という感じですが、これって経済セミナーの連載だったんですかね?
今年の後半は、TAや研究調査から解放され、久々に講義形式のゼミなども出席してみたのですが、経済学研究科と農業経済学専攻とのあいだの能力差はいかんともしがたいものがあり、レベルの差を感じさせられました。
・・・あ、書き方が悪いですね。一つは、理論を重視した議論と実際に利用する際の議論との違いを感じたという事と、「自分がいかに勉強していないか」を改めて実感したという事です。
だって博士3年にもなって入門の本が全然読めなくて後輩に教えてもらってる状況ですからね・・・
どうせなら時間がかからない日本語の本がいいなあ、、とか泣き言を言ってミクロ計量の本を探し回り、やっと見つけたのがこの本です。
線形・非線形・パネルデータの基本から、IV・二項多項順序選択・政策評価(DID)などに一通り触れていて、しかもSTATAのコードもあるという・・・。嬉しすぎます。ただ、この期に及んでまだ式展開が理解しきれない場所があったり、私の能力の方が絶望的状況です。もっときちんと読み切らないといかないなあ。
明治天皇
将軍権力の発見
かつて、史学関係の本というのは、文学と並んで「評論・時代小説」と研究の境界があいまいな世界でありました。自分は重度の歴ヲタだったので、新書なんかでどこまで評論でどこまで研究かさっぱりわからない本をいっぱい読みました。歴史が大好きだったのに、結局歴史学を全然やらなかったのは、その辺の批判があったからかもしれません。
大学に入って、曲がりなりにも自分も小論を書かないといけなくなってから、研究と評論の境目がすこし見えてきた気がします。
まず、専攻研究の整理。自分の議論は「新規性がある」だけではなく、「突拍子もない極論」ではないということをきちんと説得すること。これは、論文に会って評論にないものです。浪人時代はM2とか読んだりしていたのですが、こうしたインチキ本にはこの視点が全くなかった。
二つ目は、論拠をきちんと引用・脚注を通じて明記すること。評論家の議論や朝生的な議論では、この点がないので、議論そのものがかみ合っているのか誤解に基づいているのかが全く分からない。
この二つがきちんとそろっている歴史の本、と言われると真っ先に浮かぶのがドナルド・キーンの『明治天皇』でした。評伝であるにもかかわらず、ものすごい脚注と出典の明記。自分は一切嘘は書いていない、という自身であり、日本人自身の勘違いや妄想による明治天皇像を大きく変えた一冊です。
逆に、評論・時代小説の側で、これに匹敵する業績となりつつあるのが福田和也の『昭和天皇』でしょう。文春連載・昭和帝を「彼の人」と呼ぶ文体、時代小説としての事実の丹念な記述、登場人物の心情を通じた歴史へのコメント。これこそが日本人が書き続けてきた歴史評論(時代小説)の精華。評論風の漫談で突拍子もない議論を開陳して研究者然としている評論家とは全然違う感じを受けます。
「将軍権力の発見」は、そうした日本史の研究者の姿が大きく変わってきたことの一例という感じです。旦那さんの文章の方が私は好きですが、やはり研究となるとこちらでしょう。室町時代、とくに中世に確立された権力とはなんなのか、この本にはその辺がまとめられています。
今年は本郷先生・加藤陽子先生とか、東大の先生たちが活躍されましたね。NHKの「さかのぼり日本史」もすごく面白いし、来年も歴史の本が楽しみですね。
老いと勝負と信仰と
加藤一二三さんは本当に面白い方で、かつ昔将棋が好きだった上に母がカトリックの私にはすごく親しみのある棋士だったのですが、ついにご本人の念願だった「将棋とキリスト教」の本が出版されました。信仰のもたらす力とは何か、それをありありと見せつけてくれる一冊です。
本のなかで言及されている「平安の祈り(ニーバーの祈り:新教の牧師さんが作ったらしい)」は、とても佳い言葉だと思います。私も、これを胸に刻んで、新年を迎えようと思います。
O God and Heavenly Father,
Grant to us the serenity of mind to accept that which cannot be changed; the courage to change that which can be changed, and the wisdom to know the one from the other, through Jesus Christ our Lord, Amen.
来年は、また将棋をやってみようかと思い始めた今日この頃。
皆様も、よいお年をお迎えください。