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巻頭

このホームページについて


 当ブログ内の記事は完全に西原是良=運営者の独断と妄念によるもので、所属機関等の意見とは一切関係がありません。
 ホームページ開設の目的は履歴・研究業績の公表、そしてネット上の資料整理と作文練習にあります。
 資料の真贋および論理的整合性は時々見直してまいりますが、それに応じて削除・改編を随意に行うつもりです。ご承知おきください。

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異動します

平成31年4月1日より、早稲田大学人間科学学術院から、早稲田大学研究院に異動します。 正式な名称は、「早稲田大学地域・地域間研究機構次席研究員/研究院講師」とのことで、またも舌をかみそうな名称に... 今回は寄附講座の運営と受託研究への従事が主たる職務になります。学術院の教員時代と比べると教育業務がかなり減る一方で、安住できるほど長く努められるタイプの仕事ではないので、様々なご厚意で就活の延長戦をさせていただいているという感じです。 人間科学学術院では、いわゆる必修の基礎科目を担当させて頂きました。正直言って結構負担感の大きい業務でしたが、統計学に関する基礎的な知識、そして何より「教え方」に関する様々な方法論を勉強する機会を頂けたというのが財産になりました。アクティブ・ラーニングによる講義の運営は、そうした講義の経験がある先生やコンテンツの助けがなければ中々習熟できなかったでしょう。今後、どこかで役立てられる機会があると良いなと思っています。まあ、自分のゼミが持てるような機会があればね。。 他にも、同僚の先生方と様々な共同研究について話し合ったのも貴重な機会でした。特に気候変動の作物モデルを発展させて生産額の推定を行う研究は、一応複数の学会で報告する段階までは進めました。後は投稿・掲載となれば一番良いのですが!これは何とか次年度早々に片を付けたいところです。 博士取得後6年目にしてついに個室をゲットした、というのが今のところの新生活一番の喜びです。これでブツブツ言っても誰にも迷惑がかからない!ありがたいことです。 それから、12年ぶりの早稲田キャンパス。まあ、年に何回も訪れていたので「懐かしい」と言うほどでもないのですが、そうは言っても三品で中カツを食べたり応援団やサンバの音楽を聴くと、なんとも懐かしい気分になります。  初心に戻って、研究活動を加速していきたいなと思います。

中山間地域フォーラム2021年度シンポジウムのお知らせ

 私が所属するNPO法人中山間地域フォーラムのシンポジウムが7月10日(土)にオンラインで開催されます。 タイトルは「 新たな農村政策を問う ~農村発イノベーションは広がるか 」です。  基本計画が新しくなり、新しい農村政策に関する有識者の提言もなされました。現場の新しい活動と、政策的な方向性の双方を見通せるイベントを通じて、「新しい農村政策」を考えるきっかけになればと思います。 日時 2021年7月10日(土)13:30~16:30 開場13:00 Zoomミーティング(定員250名) 参加費無料 リンク先のホームページから、お申込みいただけます。 https://www.chusankan-f.org/  オンラインにしたら、地方の方の申し込みがすごく増えているそうです。移動のコストがない方法は悪くないかもしれませんね。でも直接お会いしてお話ししたい気持ちもありますが。 是非ご覧いただければ幸いです。 (2年ぶりで、どうやって投稿するのかわからなかった・・・)

笑而不答心自閑

問余何意棲碧山 笑而不答心自閑 桃花流水杳然去 別有天地非人間 20 年にわたり、早稲田大学の学生を受け入れてくれている農村があります。それは山形県寒河江市田代集落です。 その田代集落の前区長である佐藤昭右衛門さんが亡くなられました。 私は初めて田代集落に伺った 2003 年から 15 年にわたり、昭右衛門さんのご活躍を拝見しておりました。 学生として、 OB として、引率教員として。ただの田代好きとして。 こちらの無茶な要求にも、「困ったなあ」という笑顔をして、そして工夫を凝らして私たちを受け入れてくれた、そんな昭右衛門さんの顔が忘れられません。 役場での学生の発表、早稲田大学への山形県出店の出店、ここぞという場面には常に昭右衛門さんの笑顔がありました。 私が最後にお会いしたのは昨年の 8 月、早稲田大学学生を受け入れる田代集落の組織『葉山村塾」の設立 20 周年記念式典でした。 「手術をした」「まあ、どこまでもつかね」といった話を伺ったことは覚えています。 私は愚かにも、それを術後の弱気と受け取ってしまいました。 また、次の夏に会えると、そう思ってしまいました。 人の覚悟を読み違えるほど人生の不覚はありません。 葬儀に参列し、弔辞を述べる人たちが一様に述べる「最期のお姿」が「仕事をしていた」お姿であったという事に改めて驚き、敬服しました。 昭右衛門さんはいつも笑顔で、いつも仕事をしておられました。 いつも、誰かのために、何かをしようと、そう自らを決めておられる方でした。 本当に最期まで、そのままだったのでしょう。 もう一度、せめてお別れに一目お会いしたかった。 決して多くを語る方ではなかったかもしれません。しかし、語るまでもなく、その笑顔には、桃花流水の別天地としての、ふるさと田代の姿があったように思います。 「笑ひて答へず、心自ら閑なり」。 その生涯をかけたふるさとに、多くの笑顔が生まれる場所が残されました。 私はまた、昭右衛門さんに会いに、この村へ行くのです。