2015年5月12日火曜日

去る5月6日に母が亡くなった。

 星霜は70というと、平均寿命が八十余歳の国では随分と短いようにも感じる。が、息子としてはよく長く頑張ってくれたという思いの方が強い。
 母は、私を産んでから30数年に渡ってリウマチの持病を抱えていた。また、最期の3年はALSという難病と闘ってきた。

 7日から、大学休業期間を使って帰省する予定を立てていた。全くの偶然ではあるが、平日を数日挟んでいたこともあり、通夜葬儀から当面行うべき相続手続きの第一段階まで一通り行うことができた。
 私が7歳の時に父が亡くなって以来、母は家庭の切り盛りを全て自分で行ってきた。祖父母も一人で看取ったし、ヘルパーにかかる時も、入院する時も、介護施設への入居も全て一人で済ませてきた。
 私の人生は、母の敷いてくれたレールの上を歩いているようなものだった。
亡くなってもなお、私は母の計らいの中にあるかのようだ。

私は13歳で寮に入り、19歳から東京に出たので、母と同居していた期間は非常に短い。13年ほどの東京生活で、手術、緊急入院でICUに入ること5回。その度に愛媛に帰り、落ち着いたら帰京する、そんな親子関係だった。

 最期に会ったのは先月末、最期の入院の病状説明だった。
 今回は、さすがにもうだめかもしれない、というのは症状からも察せられた。が、本当に亡くなったという連絡をもらうまでは、まだ大丈夫なのではないか…とどこかで思っていた。長い間診てくださっているリウマチ科の先生も、退院後の体制を介護施設と協議する、と仰っていたから、どこかでみんながそう思っていたのだと思う。

 最期の病気であるALSの告知があったのは3年前の2012年だった。すでに重度障害で寝たきりになっていた母には、呼吸器をつける等の延命手術の負荷には耐えられない。それが長年診てくださった医師の告知であった。
 同時に言われたのは、胃瘻を造設して、養生しても半年くらいではないか、と。

 2009年の結婚から、子供が生まれた2011年あたりの3年間は、今思い返せば一番安定した時期だった。預かってくれた施設は非常に手厚く、リウマチ薬の改善もあって病状も安定していた。持ち前のおせっかいな程の段取り力によって、やるつもりもなかった結婚式もできたし、子供のための亥の子まで手配してもらった。
 しばらく、この状態が10年くらい続くのではないかと思っていた。

 体の筋肉が動かなくなっていく難病を、何もできず見守るしかできないのは辛いものだ。舌がもつれ、最期の半年近くは私以外の人には会話も聞き取れなくなってしまった。リウマチで90°変形した指を使って器用に絵筆を握り、iPadを使いこなし、週末にはSkypeで会話していた母が、である。信じられなかった。
 痰の吸引も数十分に一度という状況になると、あれほどの話好きが、長い会話を嫌うようになった。

 それでもなお、決して生きることを諦めない人だった。冬を越え、一年たち、今年は告知から2年目を迎えていた。最期の日も、救急入院した日赤から、かかりつけ医である北条病院に転院するために酸素吸入器を取っていたところだったようだ。
 そのまま夜中寝ている間に逝ってしまった。
 突然ではあったが、本当に自分の力で生きるところまで生き抜いたということなのだろう。

3 

 母は、高校・大学でカトリックに出会い、受洗した。若いときにはシスターとして修道院に入っていたが家庭の事情で結婚し、私が生まれた。
 母は敬虔な信者であった。末期癌で苦しむ父を支えつつ洗礼を受けさせたし、私には小さい時から普遍の教会で主の教えに触れる機会を作ってくれた。
 同時に、カトリック教会の皆さんも、母を常に支えてくれた。最後までお世話になったケアマネージャーも、あやめ荘と聖マルチンの家という二つの介護施設も教会のご縁で紹介されたものだった。
 マルチンは北条修道院に隣接していたため、母は日曜日のミサに与ることができるようになった。リウマチで動けなかった母にとっては、私が生まれた時に断念していた信仰生活を漸く実現したわけだ。良い環境だったと思う。

 葬儀も母からの希望があり、カトリックの葬礼ミサとしてあげていただいた。長患い、とくに最期数年は病床で言葉も通じない状態だったにもかかわらず、100名近い方々が参列してくださった。
 信仰だけではない。多くの助けが母にはあった。高田集落の皆さんは母が動けない代わりに家の周囲の水路や農地の管理にも心を砕いてくださったし、マルチンの職員の方達は深夜も数十分おきに母の世話に来てくれた。長年かかりっきりだった松山日赤病院と北条病院の先生方も、厄介な患者だったにもかかわらず、最期まで診てくださった。

 母は「求めよ、されば与えられん」を地で行く人だった。時に強く長く、自分のための理想を主張する人だった。自らの体がままならない中での、これらの主張については、必ずしも心地良いものではなかった人もいらっしゃったことと思う。人生の終わりに、そのことについては改めて寛恕を願いたいと思う。

 もう少し、今の生活が続いていくものだと思っていた。 
 だが、葬儀で神父様の言葉を聞いて、少し考えが変わった。松山三番町教会のルイス神父は、私たちの結婚式でもお世話になったのだが、葬礼ミサではこんな話をしてくださった。「カトリックにおける葬礼は、その人の命が、肉体を抜けて、新しい平安の世界へ移ることを記念するものだ」と。

 言われてみれば、母の顔は、私が今まで見た中でも一番穏やかな顔だった。時に薬の影響から浮腫でむくんだり、リウマチが痛くて険しい顔をしたり、私にとっての母の顔は、物心着いた時から、体調によって変わってしまう不思議な顔だった。
 そんな母が、とても穏やかな顔をしていた。母の人生を知る多くの参列者の方も、口を揃えてその死に顔を褒めていた。

 私は考え直した。これはきっと、神様のお計らいであろうと。常に生きることを諦めない母を護ってくださっていた方が、時宜をお決めになったのだろうと。闘い終えた母の顔の安らぎは、それを伝えているのだろうと。
 だから、人生の過不足を論じるのではなく、その強く最期の瞬間まで生き抜こうとした姿を記憶に留めておくべきであろうと。

 母の生き方に学び、その強さを、子供たちに伝えられるように、私自身が生きなくてはならない。

 さて、この文章は母の日である5月11日に書いている。どうせ愛媛に帰っている日だから、と思い、花も何も東京からは手配していなかった。もはや、花を見せても喜んでもらう術もない。
 そこで、こうして長文を書いて、母の人生と自分の今後の指針を読んでもらうことにした。

 子供がいうのもなんだが、私は私の母ほどに困難な人生を強く生き抜いた人を知らない。もしかしたら、この経験が、どこかで苦しんでいる人の目に止まるかもしれない。70億分の一の確率に期待するのは統計学を学んだものとしては微妙なところだが、もし誰かのお役にたつ幸運に与ることができれば、私の母は信仰者としての永遠の生命に近づくのではないだろうか。そう願いたい。

 遺品を様々整理していると、母が大事にしてきた母の家族、すなわち私の祖父母の史料が出てきた。また、自分自身の俳句や日記も。なかなか触れることのなかった歴史を感じた。同時に、私たちには語ることのなかった感情も。機会を見つけて綺麗にまとめてこの場ででもアップできたらいいですけどね。

 私も32年の人生で様々な尊敬できる人に出会ってきた。しかし、母ほどに困難な境遇にも強くあり、生きることを諦めなかった人はいないのではないかと思う。

 私は、7歳で父を亡くしてから、母の助けで自分のやりたいことをすることができた。東京の大学に都合10年も通い、日本中の農村に出かけ、家族も得た。
 それはベストではなかったかもしれない。だが、東京と愛媛を行き来する生活は、私が追求すべき生き方なのだと思う。 
 なぜなら、私にとっては、学問を成すことが、最期まで信仰を貫いた母の強さに近づくことだからだ。


 末尾に、母が困難な生命を全うし、平安に至るまでの道を支えてくださった多くの方々に、あらためて御礼を申し上げます。ありがとうございました。

2015年4月1日水曜日

比べてどうこう、ではないのだが

 急に研究室がゴシック建築(風?)から超近代建築になって戸惑ってます。
あんまりおもしろいから比較してみようと思い立ちました(東大農学部1号館のみhttp://www.a.u-tokyo.ac.jp/campus/images/campus-1goukan.jpg)。


どのくらいかっていうと、

外観


研究室の廊下





階段。話によると、「どちらも雨の日は滑りやすい」らしい。



















































どっちが住みやすいんですかね。多少小汚い方が住みやすかったりしますよね。さてさて。

異動しました

ご報告

さて、改めてのご連絡になる方もおられると思いますが、、、、
本日2015年4月1日より、早稲田大学人間科学部人間環境学科の助教に着任いたしました。

8年いた東京大学大学院農学生命科学研究科農業資源経済学専攻食料資源経済学研究室を離れ、新しい研究環境に移ります。
 ついでに文字数も半分になりました。16文字でも打ち易い・・。

職務と目標


助教になり、講義をかなりの数担当することになりました。非常勤と比べても進学に直結し、重要な科目です。また、専門科目というよりは、統計や調査方法論のような基礎的科目であります。

 自分自身の経験の整理と学びなおしに丁度良いとも言えそうです。

 さて、異動の報告にお返事いただいた中で、ある先輩から一つ箴言を頂きました。
「教育に逃げてはならぬ、研究で戦う教員に、生徒は必ずついてきてくれるから」。

 非常勤をしていても思ったのですが、教育で漫談を並べるのは、何と言っても楽しいです。
この仕事、なんだかんだ言ってもみんな話すのが好きな人が多いですから。
でも、教育は研究をさぼる理由にも丁度良いんですよね。

 自分はまだこの分野の全体像はおろか、研究対象の体系化すらままならぬ身。まずは少しでも自分の研究成果から講義を作ることができるように、研究を増やしていかないといけないですね。

 今回の仕事は任期付の仕事でもあります。査読論文を一年一本、ちゃんと出して雇用延長を勝ち取っていかなければなりません。
 そして、可能であれば、ちゃんとした本誌投稿、そして英文誌への投稿を狙わなくては。

 自分の仕事をたくさんの人に読んでもらい、引用してもらう事こそが研究者たるものの夢。
早稲田にいる時間で、できるだけこれを叶えていきたいと思います。

翰林八年


 偶然なのですが、東大最後の日に駒場キャンパスに用事ができてしまいました。私が初めて「東大」と出会ったのは2002年2月の駒場に文Ⅲ試験を受けに来た時でした。結局駿台~早稲田に行き、弥生キャンパスから東大に入った私には、ついに憧れた「教養」の世界とは出会うことができませんでした。
 もちろん、そのおかげで得られたものもたくさんありますから、今となってはただの感傷なのですが。

 8年前、東大に進学したときは同じように早稲田から進学した友人もおりました。今でも交流がありますが、お互いに結婚し、別々の仕事をしていると、何とも不思議な気がします。他の友人たちも、もう立派に部下を持ち、あるいは自ら仕事を作り出す社会人になっています。
 私だけが、随分と長く大学を満喫してしまいました。

 それでもやはり、多くの楽しみと喜びが、大学生活の中にあったことは間違いありません。
 生源寺先生が添削を入れてくださったとたんに、どう転んでも見栄えのしなかった駄文が生き生きと動いたとき、私は間違いなく経験のない興奮を覚えました。
 中嶋先生に連れられ一週間にわたって山形を調査したとき、未だ見たことのない農村のありさまと、見落とされてきた人間の知恵に畏れと憧れを抱きました。

 論文の構造と、数式と統計の交わる世界の解釈は、常に神経を使いつつ、世の中の見えないもの、見たくないものを覗くスリリングな経験でした。それを与えてくれたのはたくさんの先生や先輩でした。

 完全に一人になるわけではもちろんありませんが、これからはどこまで独力でやっていけるのか、あるいは、どうやって今まで未知だったものに手を付けて行けるのか、考えなければなりません。

 前途は多難にして、道の明かりは遠し。一歩一歩着実に、歩くしかないわけですね。

今日書いたことを、後々後悔しないように、毎日頑張っていきたいと思います。

2015年1月29日木曜日

天上人間会相見

 妻の祖母が亡くなった。星霜92を数えるというから、大往生には違いない。
 私は知り合って10年ほどになるが、いろいろ気づかいを回してくださるよい方だった。何かの入試で読んだが、浅田次郎のショートショートに、癌になった江戸っ子の祖母の話がある。キセルをふかしながら終末の手続きを全部自分で済ませ、遺体を引き取るように言ってさっと去る。彼女はその主人公を思わせる「粋」なところがある人だった。

 詩吟、俳句をよくした彼女とのやり取りで、明瞭に覚えているのは長恨歌の一節である。
 
 在天願作比翼鳥(てんにありてはねがはくばひよくのとりとなり)
 在地願為連理枝(ちにありてはねがはくばれんりのえだとならむ)
 
 比翼連理、翼が繋がった鳥と枝がつながった鳥。離れ離れになった恋人が再開を誓う言葉だ。それは、私と妻のことを言ったのか、数年前に亡くなった祖父と自分のことを言ったのか。相当に仲の良い夫婦だったと伺っている。何か私たちに諭すところがあったのかもしれない。

 私は漸く「梨花一枝春帯雨」の一節を思い出して添えることができた。というか、モーニング娘。の石川梨華ファンだったのでこの一節だけ知っていたのだ。玉容寂寞、これは冥界の楊貴妃が玄宗皇帝を偲ぶシーンの描写である。偶然だが、会話が成り立つ格好になったようだ。

 葬儀の参列者は、彼女が人生において多くの困難を乗り越えてきたことを讃えた。
 幼少の折に実業家の父に連れられ台湾新竹に移住したこと、戦前の内地研修旅行で一月日本中を回ったこと、卒業後高雄の糧秣廠に務めたこと。女学校卒業後だから、おそらく軍属だったのだろう。戦前のキャリアウーマンというところか。
 その後の引揚のこと、飯岡の実家は焼亡し死者も出たこと、結婚後は常時15名が住む家で毎日の家事を行ったこと、6人の子供を育て、5人の弟妹の世話をしたこと。
 ・・・どれも、現代人には全く想像もつかないことばかりだ。

 私が最期にお会いしたのは昨年11月、曾孫の七五三にと訪問したときのことだ。すでに癌が進行し、死期が近いのを悟っておられたのか。私には内地研修旅行のアルバムを見せてくれた。白砂青松の海岸線、木造の船着き場、おそらく増上寺ではないかと思われる大伽藍。
 それらは、私たちがもう二度と観ることが無い失われた日本だった。

 主をうしなった部屋には、昭和天皇御真影と柱時計だけが残された。
古い日本を知る人が去り、その中に蓄積されてきた日本人の知識と知恵が失われた。

 一人の農村女性の勇気と苦労の経験も、それを知らぬ者による物語へと形を変えようとしている。
 動かない写真と、頼りない記憶は、失われるものを補うには十分ではない。だが、それでも、この歴史を聞いた私には、これを物語る必要があるように思った。私たちは、そこから受け継ぐものが何かしらあると信ずるが故である。
 我々が、この国に伝えられてきた何かしらの伝統を守り伝えられるとき、連理の枝は過去と未来をつなぐ。そう信ずるが故である。

 知ることは生きることであり、伝えることは育てることである。一つの筋道が通った人生を、敬意をもってここに記したい。

2013年8月10日土曜日

2013年寒河江市田代実習

田代に行ってきました。
私が学生として最初に訪問したのが2003年ですから、もう10年以上になりますか。時がたつのは早いものです。

 実習は、田代公民館での宿泊を伴って行われました。また聞き取り調査には、寒河江土地改良区・市役所・JA西村山等の関係各機関の方にお時間を割いていただきました。御存じのとおり、大変な豪雨災害の最中でした。関係各位には、改めて厚く御礼を申し上げたいと思います。
 幸い実習中は気候に恵まれ、雨も無く、暑すぎもせず、良い時間を過ごすことができました。
 学生は参加において必要な諸経費を自己負担していますが、一方で教員の公費・保険等については農林中央金庫様のご厚意に甘えております。寄付講座として支援を頂いていることにも感謝したいと思います。

1.実習の大雑把なまとめ

非常に簡単にまとめますと
8月3日 到着。ブナ林の下草刈り・蓮田(放棄地解消)の草取り


8月4日 個別農家での実習・聞き取り調査

8月5日 調査票のシェア・寒河江土地改良区での聞き取り調査・農家との交流会
8月6日 直売所見学・寒河江市関係諸団体の方との懇談会
(※写真は、学生さんから提供いただいたものです)

 天候に恵まれたことと、実習14年目という安定感から、農作業体験は非常にスムーズでした。すべてのグループを回りましたが、おおむね①サクランボ園の下草刈り・土づくり等の基礎的作業②ブルーベリー・カボチャ等の収穫作業の2パターンに別れていたように思います。もちろん、①が男子学生受け入れ先、②が女子学生です。

 聞き取り調査と言っても、きちんと調査をするというよりは「調査を通じて田代の生活や農家の意識を知る」方がメイン。なので、食事を取りながらまったりやる家が殆どだったと思います。
 山形牛や刺身、天ぷらに加えて、岩カキを食べたとかいう家もあったなあ。庄内で岩カキもらったのはもう6年前か。懐かしや。

2.調査講評

そうは言っても、「調査に行ってやったこと」は残したい。ので、調査内容とその講評を、次回の反省のためにまとめてみます。

①調査票

・・・良く埋めてきました。正直に言って驚きました。おかげで、基礎データと、班別テーマの双方について、有意義なシェアができました。

②基礎データ

農家労働時間・収入・家族構成・農地面積関係についてのデータが、受け入れ8軒すべて揃いました。おかげで、専業・兼業、他出家族の状況、農家の世代の違い、作目別の農家行動の違い、などが把握できそう。
 これを、班別のデータの分布とクロスさせれば、少なくとも何らかの相関くらいまでは見つけられるかもしれない。今後の報告に活かされるように、私の方でも(清書提出後に)集計してみようかなと思います。
 いやほんとに5年に一度これをやっていればデータになったのに、、、という感はありますが。

③班別データ

参加学生の関心で分けたテーマ、全てに触れませんが、全体の傾向だけ。
耕作放棄・ブランド化・観光(まちおこし?)等、農村問題の定番に加えて、地域医療・学校閉校問題(昨年、小学校が閉校した)の2つがユニーク。この辺は、いかにも農学部が無い大学っぽい作りです。まあ、私も専門じゃないということですが。

 耕作放棄に関しては、多くの農家が植林による解消を挙げていました。耕作放棄地を抱えている人の「放棄の動機」も、災害に伴うものが非常に多く、まさにこの地域の放棄地は作目別費用曲線が耕作限界を超えた、と表現するしか無さそうです。
 逆に、最終日の市役所での議論では、自給率向上などの「思い」を重視する意見があった。過疎地域の「農地保全」と「平場の論理」の微妙な違いは、学生にはさぞ勉強になったことでしょう。これが社会科学の現場というやつですね。

 小学校の閉校問題は、実は私が学生のころから議論のテーマになっていました。しかし、現実に閉校になった今、むしろ議論への関心は薄まった感じがしました。閉校は、住民にとって断腸の結論かもしれません。なので、寝た子を起こさない議論が肝要でしょう。うまく議論の方向性をリードする必要がありそうです。
 この点で非常に興味深かったのが、田代の地域活性化として小学校を活用する計画が農家から盛んに出た事です。観光・村おこし系の質問票に書かれた「作ってみたい施設」について、小学校跡地の活用プランとリンクして語る人が非常に多かったらしい。
 なるほど、こういうlinkも起きうるのか。実態調査の偶然というのはいつも面白いものです。後期になったら、観光班の再編をやってもいいかなと思いました。

 地域医療については、「診療所の回診」重視派と「市中総合病院」重視派の農家がいることがわかりました。これ、何かの基礎データの中に相関がないかしら?うまくいけば、王道の実態調査と考察ができそうな、骨太テーマになりそうな予感がします。ま、私は医療問題について無知なんだけど・・・。

3.反省点

事務的な反省は抜きにして、一番の問題点は農作業のけが人でした。鎌の使い方や、手袋の用意、さらには増水した川(用水)に近づくなど、一歩間違えれば事故になっていてもおかしくないケースが多々ありました。これらに関する簡単な指示をするには、まず作業内容を事前に把握する必要があります。
 現地との連絡の強化、また、ここでもTAとの役割分担が重要ですね。

4.今後の実習について

調査票の負荷の問題、学生受け入れ農家の高齢化にも対応していかなければなりません。80歳になっても元気にマニュアル車で学生を回収し、23時に送ってくるお爺ちゃんも現にいるのですが、、、、しかし、何らかの対策を考えないといけないでしょう。
 その点、調査票の充実を教育サービスの柱にしていた今年度の私の方針は軌道修正が必要です。来年度の実習に向けて、今年の経験を活かすとしたら、以下の2点が重要かな、と考えています。

 一つは、調査票によるデータ把握は5年くらい止めてしまい、別の調査をする、というパターンです。オーラルヒストリーとか、一度やってみたいですよね。他にも、かつて東大中嶋研究室でやっていたような「まち歩き→地域計画」のワークショップ。これは一応段取りは判る。
 いずれにせよ、不完全な「農家調査」よりも、もう少し包括的な「集落調査」にする方が、調査として地域にも還元しやすいような気がするのです。それに、これはいわゆる「若者馬鹿者よそ者」の早稲田生が持つ3要素を活かしやすいとも思われます。一つの検討課題かな、と思います。

二つ目は、個々の援農だけではなく集落の役に立つ作業をする、という方向です。今年の蓮田が耕作放棄地対策事業の一環であるという話を聞き、実は「我々が田代地区の役に立ったのは初めてじゃないか?」と思いました。もっとこのパタンをやれないだろうか?
 長年続く実習ですが、良くも悪くも、山村のホスピタリティに乗っかる部分が多くなっています。このままでは、学生への理解のある受け入れ農家は別として、無関係な他の住民の方からすると、学生が気味の悪い存在に変わる危険性もあるでしょう。耕作放棄地でも、道路の砂利敷きでも、若い労働力をもっと集落に提供できるプランが必要かな、と思います。

まあ、大体こんなところでしょうか。

 今年も、「また来たい」という学生がたくさんいたことが、何よりも嬉しかったです。少しでも田代ファンが増え、あの農村の事を大切に思う人が出来たのなら、まずは体験実習の最低限の成果が挙がったものと言えます。
 次のステップは、田代集落に何ができるか。これは、教員としても考えなければいけない問題です。自分のできる範囲で、来年に向けて考えていきたいと思います(とか言って雇止めされたりしてね。。。)

2011年12月31日土曜日

今年の5冊

今年も最後の日になりました。亥の子の記事をまとめて「愛媛の年中行事」を作りたいという野望があるのですが、年越しとなりそうです。

せっかくブログを作ったのに、何も書かないままでいるのはどうかなと思うので、今年読んだ本(必ずしも新刊ではない)もしくは読み直した本から、5冊を紹介して今年の終わりにしようと思います。



日本農業の真実




生源寺先生が名古屋大学に異動されたのは、個人的には最大の事件でありました。震災や海外動静や聖上の御不例など、今年は多くの事件があり、これが最大とは大声で言いづらいのですが、生源寺先生にお会いしてから、研究者としてのお姿を拝見してきたものとしては、やはり先生がもう間近でお会いできないというのはとても悲しいことです。僕がもう少し研究者としてしっかりしていたら、もっといろんなお話をすることができたのかもしれません。その意味では返す返すも残念としか言えません。とはいえ、先生の御決意のほどは詳しくお聞きして、皆学生は納得したところですし、もう会えないといった類の状況ではないのですから、いつか先生にコメントを頂けるような研究成果を出してみたいものです。


さて、本の紹介です。先生は農政審議会の仕事を引いて、学部長をされている2007年から2011年までの時期に立て続けに書籍を書かれました(ちなみに、その時期は私の大学院生活とかぶっている)
。関わってきた農業政策についての覚書と、一般への周知という二つの目的があったものと思われます。

この本は、そうした農業政策に関する一般向け書籍の最新刊で、かつ民主党になってからの農業政策の迷走についての警鐘となっています。

ただ、この本のポイントは、露骨な民主党批判や、TPP賛成反対といった政治的問題に乗っかった議論をしていない所にあります。

本の前半は、農業政策が、特に93年のGATT妥結以後、どのように戦略を描いてきたのか、その政策の根拠は何かを丁寧に説明しています。後半は、農業政策の焦眉の急、「後継者問題」と「減反政策」、ややテクニカルな側面として「農地問題」「農業資源の共同管理問題」に触れています。
後継者問題について、(貿易交渉を睨むつもりなら、なおさら)一定規模の規模拡大を何より優先して実施することと、減反強制からの解放の必要性が本書の大きな論旨ということになります。

最近のTPP賛成反対ディベートで農業に興味を持った人は、必ずしも面白いネタとは思わないかもしれません。
しかし、この本は、そういう人にこそ読んでもらいたい本だと思います。日本の農業がどんな問題を抱えているのか。そして、それってTPPとかと関係なく、日本人自身がやらないといけない事じゃないか?という事にぜひ気づいてほしい。
この本は、そうした「気づき」が可能なほど論理的でわかりやすい本だと思います。

ただし、人によっては、この意見を「農水省の政策を肯定する理論」と読む人もいるでしょう。先生自身の研究と活動がこの本の論拠であることを考えれば、そうした見方の全てを否定することはできません。問題は農水省がやってきた政策は全部間違っていたのか、否か、という点です。その意味で解釈するなら、マスコミ的な議論とは異なる視点としても、面白い本じゃないかと思います。

「データは、人が目をそらしてしまう不都合な事実に光を当てる」。この本に「日本農業の真実」が隠されているとすれば、それは演説する扇動家(デマゴーグ)が決して触れたがらないことが本に載っているからかもしれませんね。



ミクロ計量経済学入門





研究ツールの紹介という感じですが、これって経済セミナーの連載だったんですかね?
今年の後半は、TAや研究調査から解放され、久々に講義形式のゼミなども出席してみたのですが、経済学研究科と農業経済学専攻とのあいだの能力差はいかんともしがたいものがあり、レベルの差を感じさせられました。

・・・あ、書き方が悪いですね。一つは、理論を重視した議論と実際に利用する際の議論との違いを感じたという事と、「自分がいかに勉強していないか」を改めて実感したという事です。

だって博士3年にもなって入門の本が全然読めなくて後輩に教えてもらってる状況ですからね・・・
どうせなら時間がかからない日本語の本がいいなあ、、とか泣き言を言ってミクロ計量の本を探し回り、やっと見つけたのがこの本です。

線形・非線形・パネルデータの基本から、IV・二項多項順序選択・政策評価(DID)などに一通り触れていて、しかもSTATAのコードもあるという・・・。嬉しすぎます。ただ、この期に及んでまだ式展開が理解しきれない場所があったり、私の能力の方が絶望的状況です。もっときちんと読み切らないといかないなあ。

明治天皇






将軍権力の発見








かつて、史学関係の本というのは、文学と並んで「評論・時代小説」と研究の境界があいまいな世界でありました。自分は重度の歴ヲタだったので、新書なんかでどこまで評論でどこまで研究かさっぱりわからない本をいっぱい読みました。歴史が大好きだったのに、結局歴史学を全然やらなかったのは、その辺の批判があったからかもしれません。

大学に入って、曲がりなりにも自分も小論を書かないといけなくなってから、研究と評論の境目がすこし見えてきた気がします。

 まず、専攻研究の整理。自分の議論は「新規性がある」だけではなく、「突拍子もない極論」ではないということをきちんと説得すること。これは、論文に会って評論にないものです。浪人時代はM2とか読んだりしていたのですが、こうしたインチキ本にはこの視点が全くなかった。

二つ目は、論拠をきちんと引用・脚注を通じて明記すること。評論家の議論や朝生的な議論では、この点がないので、議論そのものがかみ合っているのか誤解に基づいているのかが全く分からない。

この二つがきちんとそろっている歴史の本、と言われると真っ先に浮かぶのがドナルド・キーンの『明治天皇』でした。評伝であるにもかかわらず、ものすごい脚注と出典の明記。自分は一切嘘は書いていない、という自身であり、日本人自身の勘違いや妄想による明治天皇像を大きく変えた一冊です。

逆に、評論・時代小説の側で、これに匹敵する業績となりつつあるのが福田和也の『昭和天皇』でしょう。文春連載・昭和帝を「彼の人」と呼ぶ文体、時代小説としての事実の丹念な記述、登場人物の心情を通じた歴史へのコメント。これこそが日本人が書き続けてきた歴史評論(時代小説)の精華。評論風の漫談で突拍子もない議論を開陳して研究者然としている評論家とは全然違う感じを受けます。

「将軍権力の発見」は、そうした日本史の研究者の姿が大きく変わってきたことの一例という感じです。旦那さんの文章の方が私は好きですが、やはり研究となるとこちらでしょう。室町時代、とくに中世に確立された権力とはなんなのか、この本にはその辺がまとめられています。
今年は本郷先生・加藤陽子先生とか、東大の先生たちが活躍されましたね。NHKの「さかのぼり日本史」もすごく面白いし、来年も歴史の本が楽しみですね。


老いと勝負と信仰と




加藤一二三さんは本当に面白い方で、かつ昔将棋が好きだった上に母がカトリックの私にはすごく親しみのある棋士だったのですが、ついにご本人の念願だった「将棋とキリスト教」の本が出版されました。信仰のもたらす力とは何か、それをありありと見せつけてくれる一冊です。

本のなかで言及されている「平安の祈り(ニーバーの祈り:新教の牧師さんが作ったらしい)」は、とても佳い言葉だと思います。私も、これを胸に刻んで、新年を迎えようと思います。

O God and Heavenly Father,
Grant to us the serenity of mind to accept that which cannot be changed; the courage to change that which can be changed, and the wisdom to know the one from the other, through Jesus Christ our Lord, Amen.



神よ、
変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。


来年は、また将棋をやってみようかと思い始めた今日この頃。
皆様も、よいお年をお迎えください。

2011年6月13日月曜日

2010年度農業経済学会

昨年度の農業経済学会に行ってきました。

文章の意味が通じないので補足すると、昨年度の農業経済学会は3月の予定だったのですが、地震のため昨日まで延期されていたのです。
開催地は私の母校早稲田。とはいえ、例年に比べると色々異例の開催で、運営された方たちは大変だったんじゃないかと思います。
私もシンポジウムしか行けなかったので全体を把握することができなかったのですが、シンポジウムの内容だけ、備忘録として残しておこうかと思います。

1.前説


昨年は、民主党政権の成立に伴って起きた農政の転換、特に戸別所得補償制度と減反政策・農地集約についての討論が行われました。その中でも、佐伯尚美先生が基調講演で農経学者は奮起すべき、と問題提起を残されたのが印象的でした。

今年の農経学会は、その佐伯先生の宿題に応える(と本間学会長が言っていた)会でもあったようです。

2.タイトル「日本農業のベースライン」(小田切徳美先生)

まず最初に、「最近の農業経済学会は、時事的な政策論争を繰り返していて、学問的な話をしていないのではないか?」という問いに対して、座長による整理がありました。
この「問い」自体、10年前の学会シンポのテーマだという事が、この議論の深刻さを示しているような気がしますが…。

座長が調べたところ、政策論争がよりタイムリーさを増すのは87年大会からのようです。初めて国際化の議論が始まった87年。これは明らかに85年の前川レポート、それに呼応する86年の農政審議会の影響を受けています。

時事問題重視を掲げてきた本学会における大会シンポジウムは、国際化を意識しても、農政を意識しても、いずれも「グローバリゼーションと農政改革」というテーマまたはその近傍に接近することになる(大会要旨集より引用)

とはいえ、集計してみると、シンポのタイトルが「政策」というのがこの20年で9回。「国際化」が87年以降7回。つまり25年くらいで16回。ちょっと多すぎじゃないか、という話です。


しかも、農業問題が政治的対立軸となるにつれて、農業政策は「選挙農政化」「ブーム的問題提起化」してきたと指摘します。

このことは、二大政党化という政党システムの変化に従ってその深刻さを深めています。民主党の個別所得補償政策がその事例として挙げられることが多いですが、実は、07年参院選敗北の後自民党が取った米政策や、突然起こった「限界集落」ブームや地域振興的政策も、同根の問題であることを指摘しています。
これらが例の「仕分け」なる文化大革命的ヒステリックイベントであっさり廃止になったのはご存じのとおり。そして、現在盛り上がっている大連立の障害4Kの一つとして、戸別所得補償が俎上に上っていることもご存じのとおりです。

このように、政治的取引の材料として政策が使われている中で、時事ネタに振り回されることは、学会を「知的刺激に乏しい集会」(『農業経済研究』73巻2号)にしてしまっているのでないか…。

そういうわけで、今年のテーマは「ベースライン」。国際化や、制度改革の基本となる日本農業の現状と特性を把握しよう、というのが今シンポのテーマというわけです。

以下、各報告者の内容を覚書程度にまとめておきます。テーマは農政理念・食料消費・政策システム・農業構造と農業生産の相互関係の4つです。


3.農業構造改革の類型論的検討(野田公夫先生)

類型論的視覚ということだが、何より日本の特徴を浮き彫りにする。野田先生は文章そのものがかなり味わいがあるなと思ったので、要旨集からそのまま抜き書きすると、

  • 近代化アプローチが妥当なのは農地法まで(by小倉武一)
  • 近世・近代を通した過去数百年に渡り、日本農業における生産力発展は一貫して経営規模縮小(正確に言えば大規模層の減少)に帰結していた(00年センサスの5ha層4.3万戸は明治41年水準:by梶井功先生)
  • 生産手段を指標にとれば、「遅れ」が歴然とする日本農業が、絶対値(単収)のみならず近代化対応(近代における伸び率)にも優れた能力を示した
  • 小農(家族経営)化・小規模化しつつ高密度の組織化を進め、<零細分散錯圃と混住性><高度化された土地利用><農家相互の重層的協業編成><ムラによる土地・水資源管理><ムラという領域/統治意識の形成>等を特質とする農業・農村のシステムとエートスを生み出した

文章は取り方もあるでしょうし、なかなか評価が難しいところです。肯定するには、総体としての議論や現実認識、それから、ここに述べた日本の特徴を、他のアジアや発展段階等に合わせて定量的に比較をする必要性がある気がしますが、ここで野田先生が書いた日本農業の特徴は、確かにうなずけるものも多いように思います。もちろん、この特徴が不変であるかどうかも議論の分かれるところでしょう。

4。食料消費の現代的課題(草刈仁先生)

草刈先生の近年の研究を一つにまとめて一貫した議論にした、という感じ。
要点としては、2つ。
国産農産物の増加要因は高齢世帯の健康志向と賃金率の停滞傾向にあり、マイナス要素として人口減少、世帯規模縮小、食生活の外部化がある。計量分析の結果、減少傾向の方が大きい。消費には景気の影響が大きい。食農教育・地産地消・地域ブランド化の効果は、二人以上世帯の高年齢世帯に限定的に作用するだけだ。
家計と農業の連携が必要。内食(家庭での調理)の生産効率上昇(に伴う国産農産物の派生需要曲線シフト)と、供給サイドの生産効率向上によって余剰が増えるはず、という余剰分析。


それぞれ勝手な感想を書くと、

一つ目の計量分析の結果は、現在の農業経営体個々のマーケティング戦略では国産農産物の需要増加につながらない、という事を示しているのだろうか?だとしたらかなり深刻な問いかけかも。一方で高齢化率は上昇しているし、若年層の国産農産物への冷淡さは、可処分所得や余暇時間とかと関係していそうな気がするので一概に若い人に興味がないとも言えないような気がしたのだけれども・・・。この辺は先生が発表された個々の論文に当たるべきか。

内食の衰えの例として、調理技術の低下が挙げられていたが、まあこれは主婦の減少とか調理に欠ける時間の問題という気がするので技能と関係するのかはよくわからなかったが、食の外部化が国産農産物需要のネックというのは面白く、かつ重要な視点かも?でも解決策がわからないなこれは。
大学受験に調理実習入れるとか・・・弁当男子に単位出すとか・・・。

5.現代農政システムの制約要因と展望(荘林幹太郎先生)

政策システムを、「政策の決定・転換に影響を与える、さまざまな主体の相互作用のシステム」と定義し、「主体・ルール・場の3つの要素と、そこから出来上がる独特の構造」を分析することで、農業政策を論じる。特に、農業政策の決定に作用するサブシステムとしての国際貿易政策・財政・地方分権政策との相互作用を論じていた。

議論のフレームの提案自体が新しい、という感じ。とくにこうしたシステムの存在を明示的に意識することで、政策目的同士のトレードオフ・漸進的政策変化・政策形成のプロセス(トレーサビリティ)を分析できるようにしたい、という主張はとても魅力的と思いました。

地方自治政策と農政のサブシステム連関の事例として出てきた「農地・水・環境保全向上対策の実施過程から県という組織が排除されている」という例は、現場の水利の話では確かに出てくる。中規模・大規模な水路だと、集落と県・改良区との連携齟齬が存在しているという話を今回報告予定だった研究で紹介するつもりだったので、こうした制度的欠陥として問題提起できるのかと思った。

6.我が国農業構造の到達点と展望(福田晋先生)

むらを基盤とする農業構造のもとで、また、政策による保護の度合いの変化の応じて、水田・畑作(野菜作)・畜産の生産構造はどのように変化したか。生産調整とともに、生産構造の変化が止まってしまった水田農業、水田転作とも呼応しつつ、もっとも競争的に成長してきた野菜作、貿易政策の変更に対応しつつ財政への依存を高める畜産、さらに下部構造としてのむらから経営体への変化をまとめて論じていた。生産フローの図解など、これは論文化されたら大学の講義で使えそうなスマートな農業構造の変化の記述だった。

それから、4名の先生方+座長のうち3名が言及していた、農大岩本先生の「戦後農政の枠組みと「新基本法」」(『農業経済研究』71巻3号)は、米政策の歴史を抑える必読論文だということがよくわかった。

後、討論が聞けなかったので、この各論点がどのように交わっていったのか、は農経研究81巻の発行待ちです。

中山間地域フォーラム2021年度シンポジウムのお知らせ

 私が所属するNPO法人中山間地域フォーラムのシンポジウムが7月10日(土)にオンラインで開催されます。 タイトルは「 新たな農村政策を問う ~農村発イノベーションは広がるか 」です。  基本計画が新しくなり、新しい農村政策に関する有識者の提言もなされました。現場の新しい活動と、...